いのちの授業 2

インタビュー/特別寄稿

2017/11/14

―「北海道いのちの電話」の挑戦

 2017年9月11日、前日に今年度「世界自殺予防デイ」での活動を終えたばかりの「北海道いのちの電話」にお伺いし、事務局を担う杉本明氏にお話を伺った。

「北海道いのちの電話」の設立は1979年1月25日、初めて電話を受けた記念すべき日でもある

 「北海道いのちの電話」の設立は1979年1月25日、初めて電話を受けた記念すべき日でもある。

そもそも「いのちの電話」の発祥の地はイギリス。ある少女が初潮を迎えた時、それが何かを知らず悪い病気ではないかと悩んで自殺した。そのことを重く受け止めた教会の牧師が何とかならないものかと考え、電話で相談を受けることを始めた。1953年のことである。日本で最初に開局されたのは1971年東京でのこと。北海道での開局は、数えて国内6番目となる。

現在、相談員の数は176人。毎年4月1日に誓約書を交わし合って活動に入るという。全国的な悩みは、相談員の高齢化と、それぞれがその年齢で抱える問題―家族の介護、自分自身の健康問題などで、一年を通して活動できる所謂実働者数の減少である。「北海道いのちの電話」も例外ではない。特に、24時間電話を受ける「北海道いのちの電話」において、深夜帯を担う人材の確保が難しく、ほぼ60人程度で行っており負担は重いという。

そんな中、「北海道いのちの電話」は、新しい取り組みを開始した。それは、「いのちの電話」としては、これまでに例を見ない、ある意味大きな挑戦ともいえる取り組みだ。

自らが発信者となること -内向きと外向きの両面をもった活動

☆事業推進委員会・サポーターズの活動

 「北海道いのちの電話」では、2011年に「事業推進委員会」という活動を支えるための事業を行う委員会を発足させている。委員会のメンバーは相談員ではなく、主に札幌市に拠点をもつ企業のオーナーたちだ。「いのちの電話」の活動の意義を理解し、札幌市民として、この街に暮らす人々が少しでもより良く生きていくために何かできることはないか、という思いから始められた活動。その委員会には「サポーターズ」と呼ばれる市民ボランティアのグループがあり活動を担っている。

そもそも「いのちの電話」の相談員は名前も顔を表にはせず活動している。そこには「かけ手」と呼ばれる電話で相談を寄せてくる人たちと「受け手」である相談員の双方のプライバシーと身を守るための配慮がある。したがって、おのずから活動は内向きのものに限られる。

しかし、一方で「いのちの電話」の存在をより多くの方に知ってもらい活用してほしいという思い、相談員のなり手を増やしたい、そしてボランティアで活動している相談員を支えるためにも多くの方のご協力を求めたいという気持ちもある。そうした中で、「北海道いのちの電話」には、外向きの活動が出来る「サポーターズ」グループがあった。当初は、PRのためのチラシやティッシュ配り、そしてWHO(世界保健機構)が制定した「世界自殺予防デイ」での活動で年3~4回だったという。

そこに昨年よりあらたな活動が始まった。

☆ゲートキーパー研修 -地域で見守る命の門番の育成

札幌市では、各地域で悩む人に寄り添い話を聴き見守る存在としてのゲートキーパー(命の門番)の育成に取り組んできた。しかし、その取り組みは年に一度200名の人を集めて行うもので、それだけでゲートキーパーとしての活動を積極的に進めることは難しいものがあり、市としては、もっときめ細やかな丁寧な研修のあり方を模索していた。そこで白羽の矢が立ったのが「北海道いのちの電話」だった。「聴く」「理解する」「見守る」そして「つなぐ」というゲートキーパーにとって必要なスキルを持っているのは「いのちの電話」をおいてほかにはない。しかし、ここでその研修に相談員が出ていくわけにはいかなかった。そこで杉本氏が考えたのは、これまでボランティアとして縁の下の力持ちとして活躍してくれていた「サポーターズ」の存在だった。「サポーターズ」のメンバーは相談員ではない。研修は受けていない。そこで基礎知識を持ち、「傾聴」を学ぶための研修を受けてもらい、担い手となってもらうことだった。

こうして「サポーターズ」の方々の理解と協力を得て、現在、「北海道いのちの電話」では、札幌市の委託事業として毎月のように「ゲートキーパー研修」を実施、きめこまやかな研修に努めている。

杉本氏は語る。「いのちの電話」も「ゲートキーパー」。そして二つの役割を持っている。一つ目は、自分が誰かを知られず相談できる「電話」での相談活動。どうしても身近な人には話せない、そういう場合もあるので、やはり是非とも必要な活動だという。もう一つは、本来、悩む人、自殺を考える人が少なくなり、より良く生きやすい街を構築することの必要性。そのためのPR活動や研修活動。「北海道いのちの電話」では、この内なる活動と外に向けて自らが発信する活動の両面をもつことで、新しい「いのちの電話」の在り方をすすめようとしている。

そして、「いのちの電話」の相談員も、地域のゲートキーパーも、人との関わり方について学んでいることが必要だとしても、専門家ではなく、一般の市民であることを大切にしたいという。どこかにいる「おじさん」「おばさん」が関わるから、近い距離感で接することができるのだという。

若年層への発信

「北海道いのちの電話」では、2012年から特に若年層に向けての取り組みを始めている。日本における若年層の自殺率が先進国の中でワースト1で推移していること。そして10代20代30代の死因の一位が「自殺」であるという、深刻な事態を重く受けとめてのことである。

日本人の死因(平成27年人口動態統計)

世代 1位 2位 3位
10代 自殺 不慮の事故 がん
20代 自殺 不慮の事故 がん
30代 自殺 がん 不慮の事故
40代 がん 自殺 心疾患
50代 がん 心疾患 自殺

これまでは、「世界自殺予防デイ」の9月10日に、若い世代のミュージシャンによるコンサートを行い、音楽を通して「命」の大切さを伝えるという活動を行ってきた。2016年からは、「イノチ・ミュージック・デイ」として、8組の若いミュージシャンが命へのメッセージを伝えるという事業へと発展している。

この事業の中で、2016年に「北海道芸術高等学校」の生徒が影アナを務めた。そこがきっかけとなり、札幌キャンパスの生徒40名を対象として「いのちの電話」についての講話を行い、その中で「いのちの電話」を知っていますか?という問いに対して、知っていたのはわずか一割にも満たないことがわかった。振り返ると、これだけ若年層の自殺が問題になっているにも関わらず、そのことをどれだけ伝えてきたか。また「いのちの電話」の具体的な活動をどれだけ伝えてきたか、というところに立ちかえり、充分にしてこなかったことに対する深い反省があった。

イノチ・ミュージック・デイ

☆子どもたちに伝えたいこと、子どもたちのためにできること

-北海道札幌国際情報高等学校での取り組み-

そこで「北海道いのちの電話」では、直接若い世代に向けて「命」の大切さを伝える活動を行う必要性を感じ、何とか「学校」という場所で行えないか考えた。しかし、「自殺」というデリケートな問題に子どもたちに向き合わせることへのハードルは、思ったよりも高かった。

「北海道いのちの電話」が伝えたかったのは、まず「生と死」ということ。「生まれてきたこと」「今生きていること」「そして必ず死ぬこと」、これらはすべての人に共通すること。そして生きている「今」を、どれだけ感じることが出来ているか。「死ぬ」というこれから先のことをどう考えるか、という事だった。

人には違いがあって当然なことで、それぞれに個性があること。でも、人は「違う」と不安を感じ、時として無理に合わせて「自分自身」をどこかに置き忘れてしまうことがある。けれども大切なことは、「自分って何?」を知り、自らを認めること。そこから、相手の違いを認め、価値観の違いを知り、違っていいこと、それを認め合うことの大切さを知ることで、より良い人間関係が構築することができる。そして、それは有意義な人生につながるということ。在り様は人それぞれだけれど、有意義な時間が多かった人生は、きっと「死」を迎えた時に充実感を感じることができるだろうということだ。

ここに「北海道札幌国際情報高等学校」の学校目標が合致した。同校では、学校目標に「世界の人々から尊敬されるグローバルシチズン(地球市民)としての日本人の育成」を上げている。そこには、多様な価値観を認め合い、尊重しながら自らを磨いていくという理念がある。また、「子どもたちのために良いことは取り組むべき」という基本姿勢があった。学校長のこの前向きな姿勢と、これを受けてどんなに難しいテーマであっても物事の本質に向き合うこと、「命」の問題に真摯に向き合うことの必要性を心に持った先生の存在。そして「リサーチプロジェクト」という一つのテーマに対して一年間を通して子どもたち自らが文字通りリサーチし、考えるという授業形態を持っていたことが、この取り組みを実現へと導いた。(参照-いのちの授業1)

 

今、子どもたちの中にある「いじめ」の問題は深刻で、悲しいことに「自殺」を選択してしまう子どもたちが後を絶たない。様々な手立てが考えられてはいるが、「これ!」という有効な手段が見いだせないでいることも事実だ。こうした中、この「北海道いのちの電話」の取り組みが、一つの道筋へとつながることを願う。

 

杉本氏には、自分自身の活動の根源であり、力となっている言葉ある。それは、カール・ロジャース(アメリカの臨床心理士)の言葉。

「人には、平等に生きる力がある」。

どんなに苦しくても、今、心が弱っていても、「人には平等に生きる力がある」。そのことを信じていると語った杉本氏の心の優しさと、それ故の強さを感じた。