「東京家学・関西家学」ご紹介 代表 平栗将裕氏に聞く①

インタビュー/特別寄稿

2017/10/05

「東京家学(やがく)・関西家学(やがく)」をご存知だろうか?

不登校専門の家庭教師。不登校の小学生・中学生・高校生を支援する事業者である。

スタディパートナーという大学生支援者が家庭を訪問する支援のしくみ

スタディパートナーという大学生支援者が家庭を訪問する支援のしくみだ。「家庭教師」と似ているが、勉強だけを教えるところではない。外に出られない状態から支援を行う方法をアウトリーチ(訪問支援)と呼ぶのだが、まず支援者が家庭まで出向き、第三者としてのかかわりを開始する。

話し相手となり、勉強を教え、外出に誘い、家庭から外の世界へと導いていく。

専門家による心理療法、進路相談、家族カウンセリング、同世代の交流を通して社会性を育てるフリースクールを併設しており、不登校の解決にむけて不可欠な段階的な支援を行う不登校支援の専門機関だ。今の状態からでも、できることから少しずつ始めて、学校復帰を目指せる事業を行っている。

大きな特徴は「家からはじめる」

大きな特徴として「家からはじめる」である。

「家」を基盤として現状から次のステップに進むための支援を行っていく。

「不登校」は子どもひとりひとりによってさまざまな原因があり、その対応の方法はさまざまだ。学年によっても対応が異なる。

不登校の類型や、アプローチの方法「家学」のHPに詳しい。

お話を聞いた

【平栗代表は、どのようなきっかけで、大学生のときに不登校の子どもへの家庭教師の仕事をはじめたか】

今から約10年あまり前、大学1年生の頃に、大学で紹介された家庭教師センターの仕事をしはじめました。そこには個別指導の塾も併設されていたので塾講師として教えるとともに、複数の家庭教師たちを取りまとめるスタッフリーダーの立場にもありました。

その後なかなか経営的に厳しい状況になり、家庭教師センターをたたむか、存続するかという状況になりました。大学3年生のときです。共に働いていた学生同士相談して「不登校の子ども専門の家庭教師」の形が考えの中に出てきました。

外に出て行けないんだから来てほしいよね、求められているよね、と。

 

社長(㈱グロップ原田竜一郎社長)はさまざまは事業を手がけていますが、当時大学生だった私たちの企画に出資をしてくれて、私自身が大学3年の終わりから4年の初めのころに「東京家学」がスタートしました。不登校の経験者にどういうことをしていくのがいいかヒアリングしたりして手探りで始めました。

【当時の私自身も将来どうやって生きていこうかと迷っていた、迷う同世代の感覚を持っていた】

私は、学生当時、教職課程を取っていました。自分の子どもの頃の学校の先生との関係がうまくいかなかったことから、先生になってみようと思ったのです。また、浪人時代に、予備校で出会った教員の勉強以外の幅広いものの考え方に触発も受けました。フランス文学、フランス思想への研究者への憧れも芽生えました。

教職課程については、若過ぎて妙に潔癖だったのか、自分の中で折り合いがつかないことがあって、途中で辞めてしまいました。フランス思想の研究者になる道も模索しましたが、5言語を修得することや、留学や大学院進学、博士課程まで行ったら5年!そんなに親に迷惑はかけられない、さまざまにハードルがある現実にたじろぎ、無理だなと思い悩みました。大学3年になり、既に教職課程は辞めちゃったし、就職活動も始まるけど、やりたい仕事ってないな、と。「家学の事業」はちょうどこの迷っているときに走り始めたものでした。

このように私自身が人生に迷っていたというか、私たちの世代の人たちも同世代の感覚として、将来どうやって生きていこうかなということって結構迷ってきた世代だと思うんですね。

 

このとき、不登校の子どもに家庭教師を、というところに目が行ったのは「学校に行けなくなっちゃったらもちろん勉強はできなくなるし、人とのつながりもなくなったら将来を描いていくというのが非常に難しいだろうな」という思いがあったからです。

【出会いが人の人生を変える、大きく影響を与える】

地方の公立の小学校、中学校、高校は公立を落ちて私立に行きました。進学したとしても近県だし、就職も近県で完結するのがほとんどです。。両親は予備校進学時から東京に送り出してくれました。

東京に出てきて、そういうふうな環境っていうか、予備校の先生に触れたなどの出会いが、やっぱり人の人生を変えますよね。若い頃に学生運動をしていた先生とか、フランス思想の研究者の道は厳しいぞなんて言われて引き込まれずに置かないようなそういう人と会う機会が無ければ、どうしても未来を描けないだろうなと思うんです。僕も浪人して、落ちたら働けと言われていたのでもう働くしかないと思っていました。でもずっと地元にいるだけなのは嫌だな、ちょっと外に出てみていろんなことを経験してみたいと思ったんです。

 

私も県立高校に落ちているわけですから、決して進学校じゃない私立高校でのんびりした高校生活から心機一転、大学進学を目指しました。自分の思い描いていたルートとはちがい、結果的に迂回路を行くことになったのですが、エリートじゃなかったけれどもやりたいことができる世の中の寛容さ、弾力性、再チャレンジとかそういうのができるのは大事なことですよね。

私たち1989年代後半生まれあたりからだんだんオールタナティブな道を行っていい寛容さが世代的にもないな、何でないんだろうなということに疑問を感じていた世代だったような気がしますね。

【不登校の子どもに家庭教師をするという事業、大小はあるが挫折体験がある人でないと発想しない、エリート街道まっしぐらの人には寄り添えない。 さらに事業を進めていく気持ちを強くするようなエピソードがやはりあった!】

全然、生徒が集まらない時期が続いたんですよ。

注目されたのは新聞に載ってからです。大学生が集まって、不登校の子どもにアウトリーチ(訪問支援)で家庭教師事業をやっているという記事が新聞に掲載されて中日新聞か、東京新聞で載って。そのあと読売新聞とかに取り上げられて、徐々に認知度が高まってきました。

でも、事業として成り立つにはなかなか厳しい状況でした。期限を切って、ここまでに生徒が何人いなければこの事業はもう無理だからやめる、というふうに社長に言われました。

そのときに、「ああ、やめたら無くなっちゃてします、せっかくやってきたことをやめたくない!」と思いました。

目標の数値には及びませんでしたが、そこからは私としても人生を賭けてやらなきゃいけないことだなというふうな気持ちになったと思います。その過程で一緒にやっていた仲間ともそれぞれ夢があったりだとか、迷いがあったりするから、やっぱりこの事業としては成り立たせるのが難しいんじゃないかというような形で、1人離れ、2人離れというふうに離れていったんですね。で、最後に残った人も、もう、これ難しいからやめようよというふうに、別に途中でやめたっていいんだから、君は君の人生をちゃんと歩んだほうがいいと思うよと説得しにかかってきましたが、私は途中でやめたくなかったんですよね。意地もあったと思いますけど。

【東京家学と牟田先生との出会い~ノウハウや知見で補強、社会的事業が成り立つしくみづくりへの挑戦、道程】

生徒はどんどん右肩上がりで増えていくんです。減ることはない。

でも、事業として成り立たないんですよね、なかなか。だから、僕らが不登校の子たちのためのそういう家庭教師みたいなものがあったらいいだろうなというふうに、そういう素人考えで思ったこと、実際にしなければならないことというのは全然違うというか、そういう考えだけじゃできない部分が非常にあったわけです。だから、どうやって不登校を直すかということのノウハウも少ない経験則の中だけでやらないといけないし、カウンセリングの勉強したってカウンセリングが通用することなんてごく一部のことだし、そうするとやっぱり見ることのできる生徒の数だってすごく限られてくるし、実績も出ないしというような状況に陥っていたわけですね。さらにこう、大学生がそういう不登校の子たちのための家庭教師のサービスを始めたというふうなことが新聞とかに取り沙汰されるようになると、当然そこを大手も目をつける。

後発の大手が出てきたら、今度はうちに生徒が集まらないというふうな形で、もうどうしようかなという状況に陥ってしまったわけですね。関西では「関西家学」を2011年11月に立ち上げていました。

そのときに何か専門性を身につけたりとか、どうにか活路が見出せないだろうかと思って顧問になってくれる先生を探したんです。いろんな先生のお名前をリストアップしました。牟田先生にお願いしたいなと思っていました。牟田先生のことは事業立ち上げ時から存知あげていたんです。でもお願いにいっても聞いてもらえないよな、怒られるかなと思ったので、行動には移せていませんでした。

2012年の5、6月のことです。牟田先生がやっていた講演会、横浜で教育研究所をやっていて、その主催の公開講座に出かけて行って、講演会が終わった直後にいきなり、「東京家学の事業、困っているんです、顧問になってくれませんか」とお願いしたのです。そしたら牟田先生が「生徒は何人ぐらいいるんだ」と言うので、「100人ぐらいです」と言ったら、100人ということに驚かれていましたね。非常に狭い業界ではあるんですけど、不登校の子たちを100人見ているところというのはないんですよね。それだけのやっぱり数がいるし、牟田先生もその当時、フリースクールを以前はやっていたんですけど私が相談したときは事業を畳んでいたので、その100人の子たちとかも自分も関われれば、何か世の中のためになる研究だとか残せるかなというふうな気持ちもあったみたいです。そしてその場で「いいよ」というふうに言ってくださって、顧問をお引き受け下さることになったんです。

ずいぶん向こう見ずで失礼な申し出をしてしまいました。

顧問・学校評議員 牟田先生とは?

不登校、ひきこもり長期化からくるニートへの移行を予防し、 心の悩みだけでなく、本人の社会的自立をめざす

 

牟田 武生Muta Takeo

1947年生まれ。1972年教育研究所設立(民間団体)。不登校・ひきこもりの実践・臨床研究を40 年以上続ける。元NHKラジオ「こども教育電話相談」レギュラー相談員。

特定非営利活動法人 教育研究所理事長 問題行動研究会 代表幹事

2005年~2007 年 文部科学省初等中等局生徒指導調査研究審査委員

2006年 厚生労働省「若者自立塾」を富山県黒部市宇奈月温泉で主宰

2013年 東京都29 回青少年問題協議会委員

現在   東京家学・関西家学顧問・フリースクール学校評議員

●著作 (2000 年以降の主のもの) :文部省委託調査「不登校に関する実態調査」/平成5年度不登校児童生徒追跡調査報告書(01.8) 共著/文部科学省「生徒指導提要」原稿案執筆協力者(10.3)/「中学卒、高校中退からの進学総ガイド」オクムラ書店(毎年調査発行)/「総ガイド高校新入学転編入」オクムラ書店(毎年調査発行)/「ひきこもり/不登校の処方箋」オクムラ書店(01,6) *本書を原作にした東映教育ビデオによる映画を監修(03.11)監督:山口隆己/「すぐに解決!子ども緊急事態Q&A」 オクムラ書店(02.3) /「ひきこもり/ 不登校の処方箋」増補版 オクムラ書店(03,7) /池上彰が聞く「僕達が学校に行けなかった理由」オクムラ書店 監修(03,8) /「ネット依存の恐怖」教育出版(04.2)*同・韓国語版 智慧文学(06.8)韓国発売*NHK「福祉ネットワーク」で「ネット依存」という30分番組2本になる(04.7 放送)/「ニート・ひきこもりへの対応」教育出版(05.8) /「ジャパンクール」三松出版(06.8 発売) 「オンライン・チルドレン」オクムラ書店(07,3発売) /現代型うつ病予備軍「滅公奉私」な人々 ワニブックス【PLUS】(12.2) /その他、著作・論文多数/教育新聞社、現在連載中/NHK若者の事件コメンテーター/主な過去新聞社連載 共同通信社、MSN&毎日新聞社、中日新聞社、神奈川新聞社、教育新聞社 等

●受賞:1992年、神奈川新聞社「神奈川地域社会事業賞」/2008 年、若者自立支援厚生労働大臣賞受賞(個人)

メッセージ

教育は、愛です。科学です。そして明日への夢です。

東京家学・関西家学(旧神戸家学)の支援は、不登校特化した家庭訪問支援を行っています。 不登校は心理的問題だけでなく、進路(キャリア)の問題であると認識することが大切です。 不登校への対応は、基本的に再登校を目的します。不登校、ひきこもり長期化からくるニートへの移行を予防し、 心の悩みだけでなく、本人の社会的自立をめざすものです。 また、不登校や高校中退からの進路問題もアドバイスします。 学力は必ずしや社会で生きていく本人の「武器」となるものです。 解決のその時まで、寄り添い、理解し、行動する、その道のりを共に歩みましょう。

東京家学 HP 参照

NPO法人 教育研究所所長 牟田武生氏インタビュー

②では【牟田先生の理論、知見・ノウハウを標準化し伝えていくこと】からお話を伺います。

東京家学(とうきょうやがく)・関西家学(かんさいやがく) 代表 平栗将裕氏に聞く②

株式会社グロップ